廃線跡探訪②-11 上田丸子電鉄丸子線 電鉄大屋駅跡 
2014/06/16 Mon. 00:00 [edit]
上田丸子電鉄 丸子線 電鉄大屋駅跡です。
こちらは現在のしなの鉄道 大屋駅。

しなの鉄道 大屋駅
大屋駅は明治29(1896)年、日本初の請願駅として開業した駅です。
それまでは諏訪地区の蚕糸業者が和田峠を超えて田中駅まで生糸を運んでいたそうです。
しかし田中駅までは距離があり不便だったため、養蚕業者・地元住民の請願により
街道と信越線の交わる最短地点に大家(現・大屋)駅が設置されました。

日本初の請願駅であることを示す石碑。大屋駅前に設置されています。
この現在の大屋駅舎の東側にかつて電鉄大屋駅がありました。
上田丸子電鉄 丸子線 電鉄大屋駅跡
電鉄大屋駅跡は現在しなの鉄道所有の駐車場となっています。
大正7年の開業当初より貨物輸送の為のスイッチバック設備を有していましたが、
7年後の大正14年には上田東駅まで延伸し、交換駅でありながらスイッチバック方式という
珍しいスタイルの駅となりました。

電鉄大屋駅跡 西側より撮影。
右手がしなの鉄道 大屋駅のホームで、その南側(左手)に丸子線のホームがあったそうです。
昭和31(1956)年に上田丸子電鉄の駅舎が完成し、改札が分離しました。
その後、丸子線廃線と共に廃止。駅舎が解体されたあと、駐車場に転用され現在に至ります。
(掲載写真は平成24年10月9日撮影)


上田電鉄資料館に収蔵されている電鉄大屋駅の駅銘板
こちらは現在のしなの鉄道 大屋駅。

しなの鉄道 大屋駅
大屋駅は明治29(1896)年、日本初の請願駅として開業した駅です。
それまでは諏訪地区の蚕糸業者が和田峠を超えて田中駅まで生糸を運んでいたそうです。
しかし田中駅までは距離があり不便だったため、養蚕業者・地元住民の請願により
街道と信越線の交わる最短地点に大家(現・大屋)駅が設置されました。

日本初の請願駅であることを示す石碑。大屋駅前に設置されています。
この現在の大屋駅舎の東側にかつて電鉄大屋駅がありました。
上田丸子電鉄 丸子線 電鉄大屋駅跡
電鉄大屋駅跡は現在しなの鉄道所有の駐車場となっています。
大正7年の開業当初より貨物輸送の為のスイッチバック設備を有していましたが、
7年後の大正14年には上田東駅まで延伸し、交換駅でありながらスイッチバック方式という
珍しいスタイルの駅となりました。

電鉄大屋駅跡 西側より撮影。
右手がしなの鉄道 大屋駅のホームで、その南側(左手)に丸子線のホームがあったそうです。
昭和31(1956)年に上田丸子電鉄の駅舎が完成し、改札が分離しました。
その後、丸子線廃線と共に廃止。駅舎が解体されたあと、駐車場に転用され現在に至ります。
(掲載写真は平成24年10月9日撮影)


上田電鉄資料館に収蔵されている電鉄大屋駅の駅銘板
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category: 上田丸子電鉄 丸子線
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