廃線跡探訪④-11 上田交通 真田傍陽線 川原柳駅跡 
2016/12/06 Tue. 19:00 [edit]
北上田駅から東南方向に真っ直ぐ伸びてきた路線は
川原柳(かわらやぎ)駅に到着すると北東方向に進路を変えます。


上田交通 真田傍陽線 川原柳駅跡

駅跡は現在バス停となっていますが、名称が「上川原柳」となっています。
この川原柳駅は2面2線のホームを持つ市街地唯一の交換駅で、
駅舎はハイヤーの事務所を兼ねていたといいます。
北東(真田傍陽)方面からみると上田市街地への入口となる場所であり、
市街地への通勤通学客や、丸子線の上田東駅・染谷駅への乗換駅としても
利用されたため、大変賑わっていたといいます。
駅跡となった現在も目の前にある「三葉製作所」は、
同線のクハ251形を改造し、モハ4257号に電車化した企業でもあります。
真田線は当駅から終点真田駅まで国道144号線と路線が並行していましたが、
昭和42(1967)年に国道144号線バイパスが当駅の目の前に開通すると、
真田方面への自動車交通の便が飛躍的に改善され、
真田傍陽線廃線の大きな要因となったと言われています。
「川原柳」という地名は、
江戸時代に上田藩を治めた仙石氏が上田城再建のため
瓦職人を多く住まわせた町であったため「瓦焼(かわらやき)」が
転じて「川原柳(かわらやぎ)」となったとする説があります。
昭和2(1927)年11月20日 上田温泉電軌 菅平鹿沢線 開業に伴い川原柳駅開業
昭和47(1972)年2月19日 真田傍陽線廃止に伴い当駅廃止
(掲載写真は平成26年10月24日撮影)
川原柳(かわらやぎ)駅に到着すると北東方向に進路を変えます。


上田交通 真田傍陽線 川原柳駅跡

駅跡は現在バス停となっていますが、名称が「上川原柳」となっています。
この川原柳駅は2面2線のホームを持つ市街地唯一の交換駅で、
駅舎はハイヤーの事務所を兼ねていたといいます。
北東(真田傍陽)方面からみると上田市街地への入口となる場所であり、
市街地への通勤通学客や、丸子線の上田東駅・染谷駅への乗換駅としても
利用されたため、大変賑わっていたといいます。
駅跡となった現在も目の前にある「三葉製作所」は、
同線のクハ251形を改造し、モハ4257号に電車化した企業でもあります。
真田線は当駅から終点真田駅まで国道144号線と路線が並行していましたが、
昭和42(1967)年に国道144号線バイパスが当駅の目の前に開通すると、
真田方面への自動車交通の便が飛躍的に改善され、
真田傍陽線廃線の大きな要因となったと言われています。
「川原柳」という地名は、
江戸時代に上田藩を治めた仙石氏が上田城再建のため
瓦職人を多く住まわせた町であったため「瓦焼(かわらやき)」が
転じて「川原柳(かわらやぎ)」となったとする説があります。
昭和2(1927)年11月20日 上田温泉電軌 菅平鹿沢線 開業に伴い川原柳駅開業
昭和47(1972)年2月19日 真田傍陽線廃止に伴い当駅廃止
(掲載写真は平成26年10月24日撮影)
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