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2012年04月の記事一覧

廃線跡探訪 20-01-01-04 上田温泉電気軌道青木線 当郷駅跡  

青木から4番目の駅、当郷駅です。

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当郷駅跡(推定)。真っ直ぐな国道がここで青木村から上田市に入ります。

当郷地区は青木線が走っていた当時、浦里村に属していました。
浦里村は、昭和32年に上田市から分割した小泉地区・室賀村(現・上田市室賀)と合併し、
川西村となるも、この際、当郷地区は浦里村より分割し、青木村と合併して現在に至ります。
青木村内では、先にご紹介した村松地区に次いで2番目に大きな地区です。

当郷の名所といえば、なんといっても全国唯一の「村にある国宝」、大法寺三重塔です。
…が、今回は廃線跡探訪ということで、もうひとつの駅跡を御紹介します。

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律令東山道・浦野駅跡(推定)

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周辺から土器や須恵器等が発掘されましたが、駅跡と断定できる遺跡は未発見です。
近くに国宝となっている「見返りの塔」を擁する大法寺があり、駅寺と推定されています。


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category: 上田温泉電気軌道 青木線

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廃線跡探訪 20-01-01-03 上田温泉電気軌道青木線 殿戸駅跡  

殿戸駅は青木駅から数えて3番目の停車駅です。

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殿戸駅跡(推定)。

相変わらずまっすぐに伸びる国道143号線。

殿戸地区には長野県宝に指定されている日吉神社があり
更に山手に進むと、徒歩でのみ通行できる「殿戸峠」が別所温泉まで続いています。

もうひとつ忘れてはならないのが、東京急行電鉄の創業者である
五島(旧姓:小林)慶太先生が殿戸出身であると言うことです。

殿戸バス停留所から徒歩1分の所に「五島慶太翁記念公園」があります。
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五島慶太翁記念公園。御子息 昇氏による記念碑が建立されています。

また、地区の公民館の敷地内に慶太先生の胸像があります。
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五島慶太先生銅像

生家は現存していますが、個人管理の為、見学等は出来ないようです。
鉄道事業のみならず、沿線住民の生活を含めた街づくり「都市生活総合事業」を進め、
時にはその豪腕から「強盗」慶太などと揶揄されていますが、
青木村に脈々と受継がれる「義民」精神を以て、
汚名を恐れず「世の為人の為」に尽くした方であると思います。

その一端として教員の経験もある慶太先生が
教育活動を熱心に手がけられたことが挙げられます。
現在も「五島育英会」東京都市大学を中心として、その精神は受継がれています。

東急グループは今も「美しい時代へ-」向かって走り続けています。


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category: 上田温泉電気軌道 青木線

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廃線跡探訪 20-01-01-02 上田温泉電気軌道青木線 村松駅跡  

村松駅は青木駅を発って最初の停車駅です。

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村松駅跡(推定)。現在はバス停留所となっています。

青木村は明治22年に6村が合併して誕生しており、その中で最大の集落が「村松郷」でした。
現在も村内12地区中、最大の規模を誇っています。

青木村には律令制下の東山道が整備されていたと推定されており、
沿道となる村松にも塚穴古墳、宝篋印塔等、歴史的な遺跡が数多く残されています。

また、徳川軍を2度に渡り撃退した事で全国的にも有名な
戦国武将・真田昌幸公の長女・於国の方は重臣・小山田茂誠公に嫁ぎ
この茂誠公が当地・村松郷を所領としたことから、「村松殿」と呼ばれました。
現在の村松西地区、先に御紹介した宝篋印塔の裏辺りが茂誠公の居城・上横城址とされます。
村松殿は弟である信之公(松代藩初代)や信繁公(別名・幸村公)をよく可愛がり、
弟達も姉を敬愛していたようで、信繁公が村松殿に宛てた書状が現在も伝わっています。
また、大阪夏の陣で散った信繁公が最後にしたためた書状は茂誠公宛と云われています。


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category: 上田温泉電気軌道 青木線

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廃線跡探訪 20-01-01-01 上田温泉電気軌道青木線 青木駅跡  

鉄道模型で設立(作成)致しました架空の鉄道会社
温泉電気鉄道」構想の元となった路線が「上田温泉電気軌道 青木線」です。

大正10年に三好町(現・城下)駅~青木駅間が開業し、
僅か17年後の昭和13年に廃止された路線です。
途中、上田原駅からは支線である川西線(現・別所線)が分岐し、
こちらは現在まで上田電鉄別所線として存続しています。

今回からシリーズで、「幻」となりつつある青木線の跡を追って行きたいと思います。
第1回は青木線のターミナル駅、青木駅です。

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現在の青木駅跡。千曲バス青木線・青木村営バスが乗り入れるバスターミナルとなっています。

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青木駅跡を背に線路跡である国道143号線の上田方向を望む。

鉄道路線跡らしい真っ直ぐな道路が伸びているのがわかります。
青木~上田間の国道143号線は数えるほどのカーブがあるのみで、
ほとんどが長い直線で構成されています。

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青木駅跡の道向かいは上記のとおり民家の駐車場となっていますが、

十数年前まで、ここには古めかしい2階建ての建物が建っており、
下はハイヤー営業所、上は駅前食堂の跡がそのまま残っていました。
今はまったく面影がありません。

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バスターミナルに掲げられた青木村の観光案内図。

青木村は、田沢・沓掛の2つの温泉と、様々な史跡を有する山間の村で、
東京急行電鉄の創業者である五島慶太先生の生まれ育った地であります。
上田藩では江戸から明治にかけて、青木村から5度も百姓一揆が起こっており、
一揆の責任を取って郷土の為に散った人々を「義民」と呼んで、祀っています。
また、雨が少なく水が貴重であった上田小県地域では、
「夕立と騒動(百姓一揆の意。)は青木から」と伝えられ、信仰の対象となっていました。
青木村には現在もそうした義民の史跡が数多く残っています。
また、青木村は全国で唯一「国宝がある村」でもあります。
この国宝については、最寄駅の項で改めて御紹介致します。

青木線の終着駅であった青木駅ですが、
太平洋戦争後、上田~松本間を結ぶ鉄道が計画され、青木線復活の兆しがあったそうです。
上田丸子電鉄(現・上田電鉄)と松本電気鉄道(現・アルピコ交通)が
共同出資で「上田松本電鉄」を設立。
昭和27年に運輸省(現・国土交通省)より鉄道敷設の認可まで得ていたそうですが、
着工に至らず、幻の路線となってしまったそうです。
「もしもこの路線が開通していたら…。」 想いを馳せずには居られませんね…。


 

category: 上田温泉電気軌道 青木線

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涙雨…なごり雪…屋代線廃線。(離山隧道)  

強い風雨に耐え切れず、松代駅から撤退したものの、
心の片隅に、もうひとつやり残した事があるのに気付いて…。

親戚の家の最寄り駅である綿内駅でもイベントをしているらしいとの情報があり、
行ってはみたものの、大雨と強風でテントは畳まれており、中止の様子。
屋代線沿いに千曲川岸道路を南下している途中、その場所はありました。

有名な撮影スポット「離山隧道」です。

離山隧道隣の堤防道路の路肩が設えた様に広くなっており、そこへ駐車。
すでに2~3台の車が止まっており、おそらく“同志”であろうと思われます。
もっと多くの方がいらっしゃるかと思いきや、天候の為か、そうでもないようです。

到着して直ぐに一旦降りて、撮影場所を確認。
強い風雨に晒される為、素早く車に戻ります。
寒い…。
5分前に出て行こうと決めて、車中で暖を取ります。

5分前となり撮影ポイントへ歩いて行くも、1番乗り。
他の車からも、ごっついカメラを持った方々が次々に降りてきます。
私はコン・デジ(コンパクト・デジタル・カメラ)。

私は一眼レフのようなごっついカメラを持って走り回るのが好きではないので、
撮影時だけポケットから取り出せる、コン・デジを愛用しています。
その為、所謂「お立ち台」と呼ばれる有名撮影スポットにはあまり近寄らないのですが…。
そもそも何故“お立ち台”である此処で撮影したかったかと言うと、
離山隧道で中学生が撮影したという写真を見たことがきっかけなのです。

離山隧道はとても短い、可愛らしいトンネルです。
そのトンネルを駆け抜けてくる列車を捉えた、いかにも「屋代線らしい」綺麗な写真でした。
そしてその写真は“コン・デジ”で撮影されたものだったのです。
「あ、コン・デジでもこんなにいい写真が取れるんだ。此処に行ってみたいなぁ。」と思いました。
そして、その写真を撮る事ができるのは、今日で最後です。

私は、思い切って「お立ち台」に立ちました。
バズーカ砲のような“ごっつい”カメラに紛れて、コン・デジを構えます。
待っている間に、雨は大粒の雪へと変わっていました。
そして…待っていた列車が少し遅れてやってきました…。

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長野電鉄3600形L2編成 離山隧道にて

雪の舞う中、列車は颯爽と駆け抜けてゆきました。

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この写真が私が最後に撮影した屋代線を走る列車の姿です。

さようなら。屋代線。


ご紹介した車輛の模型はこちら↓

category: 長野電鉄

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涙雨…なごり雪…屋代線廃線。(松代駅)  

朝から雨が降りしきる平成24年3月31日(土)。
長野電鉄 屋代線がこの日の営業をもって廃線となります。

これまでも何度か訪れて、沿線風景や活躍する車輌を見てきました。
沿線に親戚が多く住んでいる事もあり、身近に感じられる路線でしたので、
最終日の姿を見ておこうと思い、車を走らせました。
まだ見ていない駅を周って見ようか…などと漠然と考えていましたが、
駅は明日すぐに取り壊されてしまうわけではないということに気づき、
明日から見ることのできない、「屋代行」の車輌を見ようというのと、
物販等のイベントが開催されていると聞いて「松代駅」に向かいました。

到着して困ったのが、当てにしていた観光駐車場が満車状態だったことです。
偶然にも入れ替わりで出てくる車が居た為、滑り込むようにして駐車し、事なきを得ました。
観光駐車場から松代城址、さらに駅の北側まで長蛇の列が出来ており、
物販の順番待ちの列と解り、この時点で限定の入場券セット等の入手はあきらめ(涙)、
松代駅に向かうと、留置線となっている1番線に1000形「ゆけむり」が停車していました。

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長野電鉄1000形「ゆけむり」号 松代駅にて

車内に自由に入ることができるようで、
土砂降りの雨の中で「結果的に」タイムリーなサービスとなっていました。
駅の周りを歩いていると、屋代行の普通列車が到着。カメラに収めます。

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長野電鉄3500形O2編成 松代駅にて

続いて、須坂行も到着し、屋代行の発車を待って3編成の並びをパチリ。

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右から、長野電鉄3600形L2編成・3500形O2編成・1000形「ゆけむり」号 松代駅にて

その後も次々とやって来る列車をカメラに収めました。
すべての編成に「さようなら屋代線」の幕が掲げられています。

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「屋代行」として折り返してきたL2編成 松代駅にて

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長野電鉄3600形L2編成 松代駅にて

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松代を出て屋代へ向かうL2編成 松代~象山口

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松代駅構内の屋代方面行ホームに掲げられたホーロー板

続いて屋代行の赤帯を外した3500形O6編成が到着。
営団地下鉄日比谷線時代の姿に復元された編成とあって、向けられるカメラの数が急増。

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長野電鉄3500形O6編成 松代駅にて

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隣に折り返し須坂行となったL2編成が並ぶ。

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松代駅にて長野電鉄3500形O6編成 松代駅にて

O6編成に逢う事が出来たので、雨も強くなり寒さに耐えられず撤収することに。

…したのですが、もう1つやり残した事があることに気づいて…。(続く)


ご紹介した車輛の模型はこちら↓


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